玄法院

真言宗醍醐派法性山 玄法院 げんぽういん 

 大永年間(1521~)甲斐国城主武田信虎公の命により、北巨摩郡下黒沢から府中躑躅が崎の西、峰本(相川地区)に草庵をかまえました。信玄公の法名「法性院機山信公」から山院号を賜り法性山玄法院と称し、武田家三代領主が本尊不動明王に戦勝祈願をした寺です。武田家滅亡後は、徳川幕府より現在地の御領を賜り寺を移築し、真言宗醍醐派京都三宝院の末として当山派修験の法流を現在につなげています。毎年3月末の例大祭では、本堂前に護摩木が組まれ火祭り祭典「柴燈護摩供」が行われます。

アクセス

車両入り口の通りは一方通行になっております。逆走しないようお気を付けください。

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